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現場レポート

出発 08:41
時刻 便名 行き先 備考

大西洋の上で 11 時間

24B 席は、もう 3 回観た映画を観ている。24C 席は、同じ Wi-Fi で 4 台のサーバーをレビューしている。違いは回線ではない — その向こう側に何を置いたか、である。

§1 二つの座席、ひとつの衛星

11 時間、ニューヨークから東のどこかへ。客室の照明が琥珀色に落ちる。24B 席は前の座席の画面を開き、 400 本のカタログをスクロールし、すでに 3 回観た映画を選ぶ。これは批判ではない。与圧されたアルミの筒の なかで 11 時間を過ごすうえで、これ以上に理にかなった選択はないし、たいていの人が一度はやっている。

24C 席は、スマートフォンを取り出す。

24b 席

19:04 再生 — 映画、118 分

21:02 再生 — また同じ映画

23:10 待機 — 客室消灯

05:41 起床 — 降下

24c 席

19:04 アタッチ — 4 セッション、1 グリッド

21:02 マージ — 三つのブランチ

23:10 グリーン — 落ちていたスイートを解消

05:41 再起動 — 止まっていたジョブ

二つの座席は同じ Wi-Fi につながっている。地上からの距離も同じだ。車輪が滑走路に触れるころ、片方は 台詞まで言える映画を一本観終えていて、もう片方は三つのブランチをマージし、落ちていたテストスイートを 通し、4,000 マイル先のマシンで止まっていたジョブを再起動し終えている。

面白いのは、それが可能だという事実ではない。なぜ可能なのか — そして、たいていの人が一度試して グリーンランドの上空あたりで諦める「いかにも」なやり方が、なぜまったく通用しないのか、である。

同じ機体、同じアンテナ、同じ出来の悪い Wi-Fi。違いはひとえに、 その向こう側に何を置いたかにある。

§2 頭上にあるものの正体

航空会社が「Wi-Fi」と言うとき、それはまったく別物の二つを指しうる。そして、あなたが乗っている機体に どちらがボルト留めされているかが、この先のすべてを決める。

古いほうの方式は、35,786 km に停めた静止衛星だ。この高度は、誰かがあなたのために選んだ 設計上の都合ではない。軌道を一周するのにちょうど 24 時間かかる距離であり、だからこそ衛星は止まって 見える。その帰結は、どんな開発予算をもってしても言い負かせない算数である。上って下りて、それを 2 回。 光そのものだけで往復 477 ms。ルーターがまだ 1 台も関わっていない段階での話だ。

新しいほうの方式は、およそ 550 km を回る低軌道コンステレーションだ。距離にしておよそ 65 分の 1、伝搬遅延は往復 7.3 ms

GEO 35,786 km 光で 477 ms LEO 550 km 光で 7.3 ms 24C 席、高度 11,000 m
縮尺は正確ではない — 35,786 km を含む図で、正確だったためしはない。

上空での実測も、物理と一致する。Ookla の 2025 年第 1 四半期の機内速度テストを分析したところ、 往復時間の中央値は Starlink で 44 ms、Hughes・Intelsat・Viasat では 703–757 ms — 差にしておよそ 16 倍だった。別のチームは ACM IMC 2025 に向けて 7 社 25 便で実機を 計測し、独立に同じ形を確認している。LEO で 40 ms 未満、GEO で 550 ms 超だ。

GEO — Hughes/Intelsat/Viasat、中央値703 ms
LEO 太平洋上 — 長距離路線の中央値62 ms
LEO — Starlink 機内、全体の中央値44 ms

バーは共通の線形スケール。出典 1。

大洋を越える長距離路線について正直な数字を出すなら、見出しより少し悪い。同じ研究は太平洋上の 中央値 62 ms、範囲は 19–86 ms と計測している。頭に入れておくべきはこちらだ。それでも十分に 優秀である。ただし 44 ではない。

§3 水を差す話

製品サイトのブログ記事なら、ここで「未来はもう来ている」と告げる場面だ。

未来は均等には来ていない。そして最後に到達する機体が、あなたの乗っている機体である。

先に改修されるのは単通路機だ。数が多く、折り返しが速く、飛ぶのは誰も 11 時間なにかをしようとは 思わない短距離の国内線である。実際に大洋を越える広胴機は、列の最後尾に並ぶ。2026 年半ばの時点で、 United は 400 機以上を Starlink 化し、年末には 1,000 機に迫る見込みだとしていた — が、そのうち広胴機はおよそ 60 機にすぎず、Starlink を積んだ広胴機による初の大西洋 横断便(ニューアーク–ヒースロー)が飛んだのは 2026 年 6 月のこと、広胴機全機の完了は 2027 年夏まで予定されていない。Virgin Atlantic は A350 の 12 機を 完了させ — 広胴機の約 28% にあたる — 787 は 2026 年後半にかけて、A330neo は 2027 年に かけて予定されている。

United 約 60 機 改修済み 400 機超のうち、Starlink で飛ぶ広胴機の数。残りの広胴機は 2027 年夏まで完了予定なし。
Virgin Atlantic 43 機中 12 機 広胴機の改修が完了 — およそ 28 パーセント。787 は 2026 年後半、 A330neo は 2027 年にかけて実施。

出典 5 と 6。United の残る広胴機は 2027 年夏まで、Virgin の 787 は 2026 年後半、A330neo は 2027 年にかけて。

というわけで、2026 年に大陸間フライトの機内でこれを読んでいるなら、まだ分は悪い。あなたがつながって いるのは、おそらく 62 ms の回線ではなく 700 ms の回線だ。

だからこそ、この記事の残りは役に立たなくなるどころか、いっそう役に立つ。

あなたが乗っている機体は、いちばん最後に改修される機体だ。 700 ms を前提に計画し、62 ms に喜べばいい。

§4 映画は成立し、ターミナルは成立しない理由

$ time echo "a" | ssh shed 'cat' # 1 文字動かすのにセッションまるごと

映画とシェルは、正反対の方向に壊れる。そして機内 Wi-Fi は、その片方にとって、これ以上ないほど不向きな ネットワークだ。

映画は帯域の問題であり、遅延を気にしない。バッファすればいいからだ。最初のフレームが 700 ms 遅れて届いても、誰も気づかない。この体験のどこにも、映画があなたに反応することを前提にした部分が ないからである。再生を押し、待ち、観る。往復は一度きりだ。

対話的なシェルは、その鏡像だ。帯域はほとんど要らない — ターミナルのセッションはメガビットではなく キロビットで測る — 代わりに、エコーバックを期待する 1 打鍵ごとに往復の代金を払う。 700 ms では、それは「遅い回線」ではない。1 文字打つたびに 3 分の 2 秒の沈黙が挟まる会話である。

ここを取り違える人が多い。機内ポータルの「50 Mbps」を見て、回線は十分だと結論し、ターミナルを開き、 そして「十分」がまるで関係なかったことを知る。ここでの通貨は帯域ではない。往復の回数だ。

§5 実際に壊れるもの(タイピングではない)

壊れ方は「なんとなく遅い」よりずっと具体的で、痛みがどこに落ちるかについて、研究は珍しいほど はっきりしている。

エンドツーエンドの入力遅延 20 ms と 200 ms を比べた、参加者 31 人の統制実験。ひたすら打ち込む 作業は、ほとんど動かなかった。1 文字あたり 290.9 ms 対 302.7 ms — 著者らが有意とは呼べなかった 差である。エラー率は同一だった。

Schmid ら, MUM '23 — n = 31、入力遅延 20 ms 対 200 ms

課題20 ms200 ms判定
タイピング/文字290.9302.7n.s.
修正タスク38.9 s46.5 s+20%
フラストレーション20.931.3p=0.004

ところが修正タスク — 矢印キーでカーソルを動かして文章を直す、エディタで実際にやっているあの 作業 — は、38.9 秒から 46.5 秒へ、およそ 20% の悪化。効果量は非常に大きい (p < 0.001、d = 1.673)。著者らはその仕組みを率直に述べている。移動のあいだ、人は画面を待ち続ける しかない。カーソルがどこに着いたかで、次にやることが決まるからだ。

速度が落ちなかったところでも、主観的な負荷は悪化した。統計的には成績が変わらなかったタイピング課題でも、 自己申告のフラストレーションは 20.9 から 31.3 へ上がっている

これをターミナルに置き換えると、上空で崩れるものの正体がそのまま言い当てられる。コマンドを打ち込むこと ではない。vim での移動、タブ補完、less でのスクロール、そして REPL の 「つついては見る」というリズムだ。どれも、次の一手が直前に返ってきたものに依存するループである。

遅延が税を課すのはタイピングにではない。画面を待つ すべての判断に、である。

§6 動かすのは打鍵ではなく、仕事のほう

希少な資源は往復の回数だと認めた瞬間、対策は「もっと速い飛行機に乗る」ではなくなり、設計の問題に 変わる。往復の回数を減らし、一往復により多くを運ばせること。

これに正面から挑む有名な道具がある。Mosh は打鍵がどう表示されるかを予測し、サーバーの確認を待たずに ローカルでエコーする。測定された効果は劇的だ。往復およそ 0.5 秒の回線で、打鍵応答の中央値は 503 ms から 5 ms 未満へ。MIT からシンガポールへの大洋横断経路では、 273 ms から 5 ms 未満へ。

だが細かい注記こそが肝心で、そこにすべてがある。Mosh が予測できるのは打鍵のおよそ 70%。予測できない残りおよそ 30% は、著者ら自身の言葉を借りれば主として移動操作 であり、そこでの遅延の振る舞いは素の SSH に戻る。つまり、高い遅延がもっとも強く罰する操作こそ、 ローカルエコーには救えない操作なのだ。

予測できる/できない

mosh が即座にエコーする打鍵≈70%
予測できない分 — 「主として移動操作」≈30%

出典 4。

予測は助けになる。だが救ってはくれない。本当に救ってくれるのは、そもそもそんなに頻繁にはループへ 入らない、と決めることだ。

遅延に向かって打ち込むのをやめる。長く走る仕事は向こう側に置き、様子を見に行く。 ビルド、テストスイート、マイグレーション、コーディング エージェント — どれも往復のあいだ、あなたが そこにいる必要はない。必要なのは、始まりのときと、判断のときだけだ。あいだのすべてはマシンの仕事で あり、そのマシンは良い回線とともに地上にいる。

上空で対話性より並列性が勝つ理由も、そこにある。700 ms 越しに速く打つことはできない。 だが 4 台のサーバーを同時に見張ることは、まったく問題なくできる。監督は遅延律速ではなく注意力律速で あり、あなたには 11 時間ぶんの注意力と、ほかに使い道がないという事情があるからだ。

§7 24C 席が実際にやっていること

$ tmux list-windows -t atlantic

具体的には、スマートフォン 1 台で、質の悪い回線の上で、こうなる:

  • 0: 接続より長生きするセッション

    機体がハンドオフし、ポータルが再認証を求め、接続が切れる。それでも tmux はサーバー側で シェルを動かし続ける。セッションは手のなかにあるものではなく、向こう側にあるものだからだ。 Eternal Terminal は同じ発想をさらに進め、TCP 接続そのものが切れてもセッションを生き延びさせ、 取りこぼした分をバッファして再生する。(フィルタリングされた ネットワークでの注意:ET は SSH の 22 番に加えて専用のポート — 既定では 2022 — を 必要とする。)

  • 1: 一度に複数の問題を

    グリッドに複数のセッション、保存済みのサーバーも複数。それぞれが、判断と判断のあいだは見張りを 必要としない作業を走らせている。

  • 2: 打鍵はエージェントに任せる

    コーディング エージェントは、コードのあるあなたのサーバーで、地上の遅延で動く。衛星税を 払っているのは彼らではない。あなたが払うのは、彼らに返事をするときだけだ。

  • 3: 必要なときだけ通知 !(ベル)

    エージェント アラートは、本当に人間が要るときに鳴る — おかげでフライトの時間は、エコーを待って プロンプトを見つめることではなく、レビューと判断に使える。

どれも航空機のために発明されたものではない。過酷な回線越しのリモート作業がずっとそういう形をして いただけの話で、飛行機は、その過酷さがいつになく正直に出る回線にすぎない。

§8 正直な但し書きをひとつ

裏を取れなかったことが二つある。取れたふりはしない:

そもそも航空会社のネットワークが SSH を外へ出してくれるかどうか。機内 Wi-Fi 各社の ポート遮断、VPN の扱い、アイドルタイムアウトについて、信頼できる公開情報は見つからなかった — 見つかるのは、確かめると崩れる自信満々のフォーラム投稿ばかりだ。航空会社によって、プロバイダーに よって、機材によって違う。長距離便の予定をこれ前提で組む前に、短い便で試しておくこと。

客室が実際に時間をどう使っているか。機内エンターテインメントの統計としてよく引かれる 数字は、たどっていくと手法の記載がない広告料金表に行き着いたので、こちらで捨てた。見つけたなかで もっとも確かな調査 — Inmarsat/Censuswide、10 か国 11,231 人の乗客。ただし実施は 2022 年で、時間を 計測したのではなく意向を尋ねたものだ — では、娯楽が仕事を大差で上回っている。 ダウンロードした映画を観たいが 41%、ストリーミングが 35%、仕事をしたいは 26%。

だから 24B 席は、統計ではなく登場人物として読んでほしい。映画を観るのが間違いだ、と言いたいのでは 初めからない。もう一方の選択肢が、選べないものではなくなった、という話だ。

§9 降下

映画は、前の 3 回と同じところで終わる。降下が始まる。24B 席は文句なしに良いフライトを過ごし、 休息のとれた状態で着陸する。それはそれで価値のあることだ。

24C 席は仕事を終えて着陸する — 仕事は初めから座席になかったからだ。ずっと地上のマシンの上にあり、 スマートフォンは、そこを覗く窓でしかなかった。

700 ms のもとで過ごすには、11 時間は長い。衛星のことなど気にも留めない 4 台のサーバーを見ているには、 11 時間はごく短い。

seat24c@phone:~$ mobile-ssh --join-beta # 無料 · オープンソース · Apache-2.0

次の長距離フライトは、11 時間ぶんのサーバー時間だ。

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